今は、純烈のメインボーカルとして大人気を誇っている白川裕二郎さんですが、力士時代があったなんて知っていましたか?
純烈の元力士と言えば、白川さんと覚えておくと良いですよ。
力士時代も、彼のイケメンっぷりは変わらなかったようです。
力士時代も含めて、純烈のメンバーとして活躍するまでには、いろいろな苦労もあったようなので、その辺も含めて、一緒に白川さんの歴史を振り返っていきましょうね。
純烈の元力士、白川裕二郎
純烈の元力士、白川裕二郎のプロフィール
それではまず、純烈の元力士である、白川裕二郎さんのプロフィールについて見ていきましょう。
本名は白川裕二郎で、生年月日は1976年12月11日のいて座です。出身地は、神奈川県の横浜市で、身長184cm、体重は74kgとなっています。
184cmは大きいですよね。確かに、背が高くてスラっとした印象がありますもんね。
血液型はA型で、俳優、歌手としての活動を2002年からスタートさせています。
もう15年以上活動しているんですね。
趣味は、釣りと筋トレで、特技はまわ割り、サーフィン、スノーボード、スキーだそうです。
まわ割りが特技って、さすが元力士さんですよね!
みなさんも、何か共通の趣味や特技はありましたか~?!
白川さんの素の部分を知ることで、より一層応援したくなっちゃいますよね。
今後の白川さんと純烈の活躍にも期待しましょう!
純烈・白川裕二郎、力士時代
現在は、純烈の一員としてバリバリ活躍している白川さんも、かつては相撲力士さんだったんですよね。
なんだか信じられませんが・・・やはり、力士時代も、白川さんのイケメンぶりは力士の間でも評判だったようです。
当時白川さんは、大相撲の朝日山部屋に入門して、1995年の9月場所で初土俵を経験したそうです。なんと18歳の若さで相撲の世界へ入ったとのことなんです。
当時の四股名=しこな(お相撲さん用の名前)は、本名のまま「白川」だったそうですよ。
1996年の7月場所からは、四股名を「白川」から、「編ノ富士」に改名しました。
ただ、当時の白川さんは、なかなか太れなかったようで、お相撲さんとしては、体格的にハンデがあったようです。
稽古や食生活には、真摯に向き合っていたようですが、持病の腰痛も悪化してしまい、なんと1996年9月場所を最後に引退することになってしまいました。
初土俵から、約1年での短い力士生活が終わりを告げました。
なお、最高位は序二段の99枚目だったそうです。
大相撲の世界では、下から2番目の番付で、なかなか上には上がるのは難しかったようです。
純烈・白川裕二郎は力士だけどスリムだった?!
力士時代の白川さんも、力士としてはかなりスリムだったようです。
というより、当時の白川さんは、なかなか太れないことに悩みを抱えていたそうなのです。
力士時代のノルマは、1日に米1升を食べて、プロテインを混ぜたスペシャルドリンクを飲むことだったそうです。
さらに、相撲界定番のちゃんこ鍋なども毎日のように出てきます。
これが白川さんにとっては苦痛だったようで、なかなか太れなかったようです。
体格的にも、力士時代の白川さんは、身長182cmで、体重が82kgと、力士としては小柄な方でした。
体重は現在より重いのは確かですが、相撲の世界となると、少なくとも100kg以上はないと厳しいですよね。
やっぱりお相撲さんにとって、食べて食べて体を大きくするというのも、強くなるためのポイントなんですね。
こんな感じで、力士時代の白川裕二郎さんについてまとめました。